少し前にとても心に残った作品があったんですよ

「かまたまる」さんは存在しなかったみたい。

ただ、この作品がネットから消失したことで、ぽっかりと心に穴が開きました。

きっとオレ以外にもそんな人がいると思うので、ここにひっそりと置いておきます。

これほどの作品が読めなくなるのはツライもんね。

--------

ある夏の話

 20xx年、春。新学期がはじまり、ようやく大学受験の事を考えはじめた頃。せっかく咲いた桜が大雨で散ってしまい、学校に向かう道路には、ピンクの絨毯が敷き詰められた。

 ビルの隙間を高気圧が運んできた暖かい風が吹き抜けると、未だ枝に残っていた花びらがひらひら舞い、歩きだしたわたしの鼻をかすめた。

 相変わらず学校に行っても誰かと楽しく話すという事はなかったけれど、ただただ穏やかな日々だった。好きな音楽を聴いて、好きな本を読み、帰り道、遠回りをして神保町へ何度も足を伸ばした。

 そんな生活と並行して、いつの間にかチャットが日課になっていた。テキスト主体、perlで作られた簡素なチャットだったと思う。そこには理系の大学生が集まるチャットルームがあり、よく顔を出すようになった。

 面倒事が嫌だったのか、はっきりは覚えていないけれど、男性と自己紹介をし、名前もよくありそうな名前をつけて、半年ほどすごしていた。

 新学期になったことも関係しているのか、ある時オフ会をしようという話が持ち上がった。都内の学生だけではなく遠方の人も参加することになり、いよいよ話題はいつ、どこで、何人くらいで会うのかだとか、本名はなんだとか、どこの大学に在籍しているのかだとかに遷移していき、テキストだった存在があっという間に人間味をましていった。

 わたしと、もうひとりの男性はその熱狂というか、お祭りには参加せず、いつも通りのやりとりをして過ごしたけれど、日に日にそのチャットルームに顔を出すのが億劫になり、気がつけばチャット自体開かなくなっていた。

 梅雨が明け、いよいよ夏はそこまで近づいていた。わたしはそれまでとても素行や授業態度のいい生徒だったけれど、学校に行けない日が増え始めた。体調不良と言って休んだくせに、海にひとりで行ったり、一日中山手線に乗って過ごしたり、今考えるとあまりよい精神状態ではなかったように思う。その理由はママが理解していたから、わたしに何かを強いることはなかった。

 なんとか学校に行って帰った初夏のある日。ご飯のあとにシャワーを浴び、机に向かうと、なぜか久しぶりにチャットでも覗こうかという気持ちになった。

 自分が入室したことが分かると、みんな挨拶はしてくれたけれど、結局話しについていけず、流れるテキストを眺めていると、PCの画面に新規メールが一件あるとポップアップが伝えた。誰かと思っていたら、差出人はわたしと同じようにオフ会に参加しなかった男性だった。

 最近どうしているのか、など質問が簡潔に書かれていて、文末に、「よかったらお茶でもしない?」と書かれていた。相手はわたしのことを男性と思っている。爪弾きにされた人間同士で傷をなめ合おうということだろうかと思うとなんだか笑いそうになったけれど、なんとなく会ってみたくなったから、「いいよ」と返して、ふたりで会う日を決めた。

 その日は朝から気温が25℃を超え、日焼け止めクリームをしっかり塗らないと焼けて真っ黒になりそうだった。

 学校帰り、ちょうど都心が最高気温をマークする時間、駅から軽子坂まで歩きながら、そういえば、当然に彼はわたしのことを男性と思っているのだから、驚くだろうなぁと思い耽っていると、何度か道を行き過ぎたりして、あっという間に約束の時間を過ぎそうになってしまった。

 やっと見つけた軽子坂を少しあがり、右手に見えるビルの一階にあるスターバックス。テラスにテーブルがいくつか置いてあり、そこに座っていると教えられていたので、じっと目を凝らすと、座っているのは女性だけだった。

 そう、”彼”は、実は”美人の理科大生”だった。

 家に帰ってから、相当に様子がおかしかったのだろう、ママは食事が済んだわたしに「いいことあった?」と笑顔で訊いたけれど、どうにもなんと言っていいか分からずに、ちょっとねとはぐらかして部屋に引っ込んだ。

 焼けてしまった肌がじんと熱くて、火照ってしかたなかった。冷たいシャワーを浴びても微熱があるような感覚が続いていて、原因はどうも彼女にあるのではないかと考えはじめた。

 わたしは同性愛者ではない。かといって、男性が好きなのかというとよく分からなかった。ただ、女性は恋愛対象として見ないのが一般的だろうと考えていた。そもそも、別になにか好きだとか、付き合ってだとか言われたわけでも示唆されたわけでもない。ただ勝手にあれやこれやと考えていただけだった。

 家につきました、とそっけなく返したメッセージには返信がない。窓から夜空を眺めてみても、別に何も解決しそうになかったから、ベッドに転がって電気を消した。居間から聴こえる音が遠くなり、わたしはすぐに眠りにおちた。

 日曜の昼下がり、お昼ごはんを済ませた人で溢れかえった雑踏を、原宿駅の前から眺めた。

 (余談になるけれど、JR原宿駅前に2019年まであったGAPは、昔、確か違うアパレルブランドだった気がする。マツキヨもなくて、クレープ屋さんだったような。どっちにも興味がなくて、あまりはっきり覚えていない。)

 内回りの電車が駅に入ってくると、どっと人が流れ出てきた。改札まで少し下り傾斜のある坂を早足で向かってくる女性に目が留まる。人をかきわけ、一秒でも早くとわたしのもとへやってきて、笑顔でおまたせと言う。やっぱり何度見てもとびきり美しい人だった。

 わたしより少し高い背、太陽の光があたると綺麗な茶色の毛先が躍る。ロングで染めているのに、お手本のように手入れの行き届いた髪が夏の日差しより眩しい。

 表参道に向かって歩いたあと、歩道橋を渡るとシャネルの前につく。シーズンによってブランディング戦略に沿った掲示がされる。その夏は文字がライトアップされていた記憶がある。

 今は閉店してしまったけれど、当時シャネルの裏には穴場のスターバックスがあった。表参道を至近に臨むのに、ゆっくりと本を読むことができるような客数だった。観光にきた人などはあまりそっちには行かないのかもしれない。

 一階で注文をして、細い階段をあがる。二階には本棚と、その前に椅子があり、奥に大きなソファやベンチが置かれていたと思う。

 窓側に陣取ると、わたしたちは話すより先に、本を読み始めた。二人で本を読もうと言っていたので、おかしなことでもなかったけれど、突然無言で読書をはじめた二人を訝しむ人もいたかもしれない。

 わたしは椎名誠、彼女は伊坂幸太郎を読んでいた。彼女が手に抱えていた本の題名は覚えていない。

 すぐとなりに愛しい体温を感じながら、わたしは旅をしていた。陸地がなくなってしまった世界で青年が旅をし、裏切りにあい、大切な人と出会い、別れ、生きる意味を航路に見出す物語。数百頁はあっという間に過ぎた。

 本を読んだら感想を言い合う。ここが面白いんだとか、書き方がいいんだとか、核心をしっかり避けて話す。そうして興味を持ったら、お互いの本を交換したりした。

 それからというもの、そういうデートを何回も繰り返した。ある時は本を読まずに、品川駅のスターバックスから人を見下ろして、「こんな都会で暮らすのは嫌だな」と愚痴りあったり、遠くの街に行って、ふたりで観覧車に乗ったりした。

 思えば、わたしは彼女のことを好きになっていたのかもしれないし、同時に、彼女も同じ感情をわたしに抱いていたのかもしれない。

 夏が終わると、わたしはいよいよ精神を病み、人と話せるような状態ではなくなることが増えた。本当はどこにも行けなかったけれど、高校の授業は一日でも休むとリカバリーに苦労することは嫌というほど理解していたから、鉛のように重い体を引きずっては学校に行き、死にものぐるいで椅子に座った。

 そこからは酷いもので、学力はあがるけれど、何のために勉強しているのか分からず、泣くこともできなかった。冒険の旅にでることもなく、狂気に取り憑かれたように、ただ問題を理解して暗記して、ひたすらに受験の為に時間を費やした。

 進路相談では、クラスのみんなが受ける大学や、学科とは全く違うものを口にした。三者面談でもママは何も口を挟まず、「それでいいじゃない」と優しく後押ししてくれた。その姿を見て、先生はあなたがしたいことをやるべきで、いきたいところにいくべきよと言ってくれた。

 そして3月、わたしの戦争は終わった。「受験を戦争になぞらえるな」と言う人もいる。けれど、紛れもなくわたしにとって受験は戦争だった。楽勝だったと言う人も、勉強は苦じゃなかったという人もいる。それはそれでいいと思う。わたしにとっては、そうではなかっただけ。

 ずいぶんと疎遠になってしまった彼女に、進路を伝えたけれど、メッセージは返ってこなかった。

 不動産の契約の為に大学の近くまでママと行った。旅行で来たいなとママは言って、わたしはここに4年も住むよなんて返した。結局、もっと長い時間を過ごすのだけれど、その時はまだだれも知らないこと。

 東京から京都へ行く日、わたしはひとりだった。両親ともに仕事が忙しいし、別に新幹線に乗って3時間ほど寝ていれば着くのだし、もし寝過ごしても大阪で折り返せばいいだけだから。なんのことはない。

 返信はなかったけれど、わたしは何度かメッセージを送っていた。物件の下見に京都にきたよ、いい場所だった。夏は暑いらしい。どうしてる?わたしのこと嫌いになってしまった? 

 「今日、昼一番に品川から京都に発つよ。」

 最後にしようと思った。18歳で、心に傷があって人とコミュニケーションを取るのが苦手で、自分よがりな子どもの戯言。

 荷物はもう送ってある。必要なものは順に届く。手にはキャリーバッグとその上にのせたかばんだけ。

 携帯電話を確認する。返事はない。これで終わりで、あの夏の思い出を抱いて、わたしはここからはるか遠い場所に行く。貴方は言ったね、こんな都会で暮らすのは嫌だって。でもどうかな。わたしは貴方の愛しい微熱がまだそこにあったのなら、こんなゴミで埋め尽くされた場所だって、きらめく世界に思えるかもしれない。

 新幹線の改札に券を二枚重ねて入れ、会釈する駅員さんに応えた。立ち止まって振り返れば、そこに貴方がいただろうか。二階のスターバックスから、もしかしたら、笑顔で手を振っていただろうか。あの時のように、駆け足で追いかけてきてくれて、抱きしめてくれただろうか。

 答えは誰も知らない、きっと貴方以外に。